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自己肯定感はないけど承認欲求は強い、こんな私って価値あるの?【哲学専攻”ちー”のひとりごと】

自己肯定感はないけど承認欲求は強い、こんな私って価値あるの?【哲学専攻”ちー”のひとりごと】

ちー人文社会学部/人間社会学科

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2022/06/16 UP

こんにちは、学生委員の”ちー”です。

さっそくネガティブなタイトルから始まりましたが、これは私が精神的に落ち込んでいるとき(私は勝手に「どん底期」と呼んでいます)の心の内を端的に表現した言葉です。このコラムを読んでいただいているあなたが学生なのか社会人なのかわかりませんが、程度の差はあるにせよ、誰しも「どん底期」はありますよね?私の場合はそれが極端で、「どん底期」には世界はネガティブ一色。
何をしても上手くいかなくて悲しくて落ち込んで、最終的にはタイトルのようなものすごいネガティブな考えにたどり着きます。ネガティブな気持ちになっている一方で、心の端っこの方には「誰かに認めてほしい」、「誰かに必要とされたい」という気持ちもあります。

この気持ちの矛盾のような状態が嫌で、モヤモヤして、全部がどうでもよくなって…。
ですが数日すると「どん底期」は突然終わって、私自身も「なんであんなにネガティブだったんだろう」と不思議になります。

私の話はさておき、この「どん底期」、多くの就活生が経験することだと思います。
むしろ、就活中にネガティブにならない人っているのでしょうか?
(個人的な偏見ですが、もし就活中一度もネガティブにならない人は、スーパーポジティブ超人といっても過言ではないと思います。)

今回のコラムでは、ややネガティブ気質でひねくれ者の私が考える「私が存在する意味」についてお話したいと思います。ネガティブ気質さんの「あー、わかる」という共感や、ポジティブ気質さんの「そんな風に考えるひともいるのか」というような発見の助けになれればうれしいです。

自己肯定感が低い、いや、ほとんどないに等しい

■「自己肯定感」が低い私
きちんとした定義は理解できていませんが、「自己肯定感」とは自分の存在を肯定的に受け入れることができる、自分のことを好きでいる気持ち、だと私は理解しています。「自己肯定感」が低いと、失敗することが怖くなったり自分の存在には価値がないと感じてしまったりします。

私は、この「自己肯定感」が非常に低い!「どん底期」においてはもはや、ほとんどないと言えます(笑)。具体的にどんな状態になるかといいますと、まず自分に自信がありません。自分の外見にも、内面にも自信がありません。自信がないので、心配や不安を感じやすいです。
「失敗したらどうしよう」、「否定されたらどうしよう」、「嫌われたらどうしよう」。
このようなネガティブな気持ちになり、こんなことばっかり考えている自分のことをますます嫌いになります。そして、さらに自信がなくなって…。この悪循環です。

■「自己肯定感」と就活
「自己肯定感」が低いと就活は本当に「苦しい」です。「大変」ではなく、「苦しい」です。自己分析のために過去を振り返ってみても、思い出すのは悲しかったことばかり。一生懸命書いたESも通過せず、何がダメだったかもよくわからないけどきっと私がダメだったんだろう。他の就活生は自分よりも優秀そうな人ばかりで、自分がものすごく劣って見える。

このような気持ちで毎日を過ごしていると、「どん底期」に入ります。
「どうせ自分なんて、成功した経験なんてなかった」
「どうせ自分なんて、何度ESを出してもダメだ」
「どうせ自分なんて、何をやってもダメだ」

「どうせ自分はダメなやつ」だけど「誰かには必要とされたい」という矛盾

■心の端っこにある「承認欲求」
「自己肯定感」が低い私にも、心の端っこに「誰かに認めてほしい」という気持ちがあります。
むしろ自分で自分自身のことを認められないからこそ、誰かに認めてほしいと感じるのかもしれません。

「私はダメな人」という気持ちと「私を認めて!」という気持ち。
言い換えれば、「私は私のことが嫌い」だけど「あなたは私のことを好きになってほしい」と言っているのです。なんだか矛盾していますね。

■就活における「承認欲求」
「これだけ頑張ってESを書いたのだから、どこか一社くらいは合格してほしい」
「何度も面接を重ねて一生懸命話したのだから内定を出してほしい」
このような「私を認めて!」という気持ちを強く持ちます。

ですがふとした時に「私って何のために就活してたんだっけ。選考に合格したくて就活してたんだっけ…?」と考えます。自分の気持ちも目的もわからず、迷子です。

ぶっちゃけ、私の代わりは沢山いる

■社会において私の代わりはいくらでもいる
自己肯定感が低い(もはや、ほとんどない)、だけれど承認欲求は強い。
こんな私には存在している価値はあるのだろうか?

「あなたの代わりなんていないよ!」
このような言葉は、心の支えになるときもあります。
ですがひねくれ者(笑)の私は、このような言葉が絶対にあっているとは思いません。
ぶっちゃけ、私の代わりはいくらでもいると思っています。

あるお笑い芸人さんも、誰かの代わりはいくらでもいるとおっしゃっています。
その方は、Apple創業者のスティーブ・ジョブズさんが亡くなった後もApple社は業績を伸ばしており、スティーブ・ジョブズほどの人物であってもその代りとなる人がいるのだから、自分の代わりなんていくらでもいる、とおっしゃっています。

このコラムも、もし私が書かなくても誰か別の人がいつか似たようなことを書くと思います。
上で話した内容も、既に別の人が同じような話をどこかでしていると思います。

では「代わりがたくさんいる私」には、何の価値があるのでしょうか。
何のために必死に就活をしているのでしょうか。

■私の代わりはいくらでもいるけど、私の代わりはいない…?
私の代わりは沢山います。
しかしそれは、「社会の中で」という前提がつくと思います。
言い換えれば、ほかの人にとっては私の代わりはいると思います。

ですが、私にとって「私」の代わりはいるのでしょうか。
さらに言えば、今この瞬間の私にとって、「私」の代わりはいるのでしょうか。
私はいないと思います。

自分で言うのはちょっと恥ずかしいけど「私には価値がある」

自己肯定感が低い自分は好きじゃないし、矛盾した気持ちをもつ状態は辛いです。
何をしてもモヤモヤする「どん底期」なんて、もう二度と来てほしくないです。
大学の授業とアルバイトと就活を両立させるのも大変です。
でも、今これらのことをできるのは私だけです。
私の人生において「私」の代わりは絶対にいません。
この意味で「私は価値がある存在」だと言えます。

いつでもこのように考えられるわけではありません。
ですが、私の心の根っこにはこのような考えがあります。

このコラムを通じて「自分なんて価値がない」、「自分なんて、いてもいなくても変わらない」と考えている方の考え方に少しでも影響があったらうれしいです。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました!

☆あとがき

あらためまして、こんにちは。
ちー です。
コラムを読んでいただいて、さらにはあとがきまで読んでいただいてありがとうございます!

私は大学で哲学や思想学を専攻しています。
「自分の生きる意味って何?」と思いそれを解決したくて、哲学を専攻することに決めました。
日々大学の講義でさまざまな思想家の死生観や世界観を聞きますが、自分自身がどう生きていけばいいのかはまだわかりません。

これからも大学の講義で新しい発見があったり自分の中に新しい考え方がまとまったら、またコラムに書いてみたいと思います。

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