職サークル

TOP よみもの 学生委員レポート 社会人になるにあたって一番必要なものをおりょうが定義する

おりょう、社会人から学ぶ

社会人になるにあたって一番必要なものをおりょうが定義する

社会人になるにあたって一番必要なものをおりょうが定義する

おりょう法学部 3年生

法学部で刑事政策を勉強しています。法学部のコミュニティサークルに所属して運営に携わっていました。

2020/02/07 UP

社会人になるにあたって一番必要なものをおりょうが定義する

学生委員のおりょうです。 今回は第一回目の里見さんのインタビューをして、私の中での社会人像のコラムを書きたいと思います。ホンネがキーワードの職サークルなので、ホンネで書いていきたいと思います。

私自身、就職活動をしていて一番つらいな、と思ったことは「正解」がないことだ。

高校まではほぼ必ず「正解」があった。数学にしろ、歴史にしろ、国語にしても、問に対して必ず1つの答えがあり、それを自分で判断できるような勉強を私たちはしてきた。言わば敷かれたレールの上をいかに要領よく、正しく、スピーディーに駆け抜けることができるか、が求められる、これを測るものが模試や入試だった。そこでのパフォーマンスが偏差値として現れ、その物差しで私たちの努力が測られる、それが勉強だと思ってここまで生きてきた。

また、「友達とは仲良くしましょう」「危ないことはしてはいけません」そう言われながら育った人は多いのではないだろうか。これも一種の「正解」となっているのではないだろうか。 友だちと仲良くしないのは間違い、危ないことをしたら間違い。だから私たちはこれらを破ったら怒られ、正される。「空気を読め」、つまり空気を読まないと私たちは怒られる。こうやって人は「正解」の物差しを幼少期に多く身につけさせられる。

この教育システムが良くない、物差しをもつことはよくない、そんなことを言いたいわけではない。だが私は「正解」を求めることに慣れすぎてしまい、就職活動がうまくいかなかった。

私は何事も「正解」を求めようとしてしまう。面接で落とされたら「お前は間違っている」と烙印を押されたような気がしてしまう。まわりが大手に行くから大手に行くことが「正解」となっている。そこから逸脱すると「意識が高い」「すごい」と言葉では褒められても「正解」ではないという線引きをされる。幼少期から周りに迷惑をかけるな、と言われ続けた私はとにかく「これは正解なのだろうか」ということを常に考えてきた。意識しているわけではなく、染みついた考え方で私の中での物差しになってしまっている。

しかし社会に出ると「正解」はない。その前段階の就職活動の時点で私たちに「正解」は与えられていない。世間的には「正解」と思われがちな大手の企業に行っても毎日辛い顔をして無理矢理働いている人もいれば、ベンチャー企業や小さい会社で忙しくとも日々楽しく仕事をしている人もいる。仕事をする中でも「正解」はないように思える。例えばAという日本で一番人気の商品があったとしても、たまたま自分の持ったクライアントがAを必要としていない時だってある。人気商品を売ったとしてもそれが正しい選択かどうかは人によって大きく異なるのだ。

社会人に必要なものはもしかしたら「視野の広さ」と「覚悟」なのではないか

今回のインタビューで里見さんは「形にすること」が学生と社会人の大きな違い、とおっしゃっていた。

学生は、「既に存在するパズルのピースを当てはめること」を求められる場合が多い。一方で社会人は、営業や調査という手法を通じて、クライアントが本当に欲しいものは何かを自分なりに定義していく。パズルのピースを、自ら作り出さなければならない。言い換えると、「正解」ではなく一つの妥当な「解」が求められるのではないか。そのために必要なスキルは「視野の広さ」と「覚悟」だと私は思う。相手が何を求めているか、聞きだす側の視野が広くないと「正解」を見つける作業になってしまい、それは物差しの押し付けになってしまうと思う。「解」が見つかったら「コレでいいんだ!」と覚悟をもってクライアントに提案する、そこまで求められるのが社会人なのかもしれない…と少し社会人像が見えた大学3年の冬だった。

☆編集後記

次回は社会人へのインタビューです。次回もお楽しみに!

OTHER