2026/01/22 UP
こんにちは。カミグチです。
この前の土日は大学入学共通テストがありました。
この時期になるといろいろなことを思い出します。
もう28歳になってしまいましたが、今受験のことを思い出すといろいろなことをお伝えできるな、と思うに至りこのコラムを書いています。
・これから大学受験の人
・これから就職活動をするけど、大学名に自信がない人
これらの人にぜひ読んでほしい、と思いながら書いていきます。
まず、「勉強ができる」ということはもちろん良いことです。
ただ、社会人になって「勉強ができるだけ」では何の意味もありません。
そして、「良い大学を出ている」ことは選択肢の幅を(通説的に)広げます。
ただ、社会人になって「良い大学を出ているだけ」では何の意味もありません。
つまり、大学受験は「人生の全て」ではないんですね。
もちろん悔しい・悲しい気持ちはあると思います。そりゃそうです。努力は必ずしも報われるわけではありません。
ただ、「だから自分はダメなんだ」とか、「自分の今後の人生真っ暗だ」とは思わないでほしいんです。
勉強ができることは良いことです。仕事をするときには必ずインプットがつきものです。
何かをインプットしたり応用してアウトプットすることが得意であれば、必ず役に立ちます。
でも、勉強ができるだけで、インプットのやり方が悪かったり(計画性がない・再現性がない)、応用力がなかったら、100%活かせているとは言えません。
いわゆる学校の勉強がものすごく得意でなくても、インプット・アウトプットが得意な人はたくさんいます。
また、良い大学を出ると、いわゆる学歴フィルターがある企業の選考にも乗ることができたり、
より幅広い企業からオファーをもらうことが増えるでしょう。
ただ、社会人になってから「学歴だけで」判断されることはかなり減ります。
※一部、入社後も学歴が大きく影響することもあるらしいと噂で聞いたことはありますが。
結局はパフォーマンスで判断されることになるので、学歴はどんどん影響力を失っていきます。
だからこそ、「良い大学を出ているだけ」では意味がない、少ないんですね。
軽々しく受験を語るな、と言われそうなので、私の経験についても述べたいと思います。
幼稚園から幼児教室に通っていた私。中学からは週2+講習、高校時代も週5~6くらいは塾に行っていました。
そのおかげか、勉強態度はかなり不真面目で、とても褒められたものではなかったですが、高校はある程度余裕をもって第一志望校に行くことができました。
高校でも塾に通っていたおかげで、大きく勉強で躓くことはなく、難関大を志すに至ります。
ただ、高校では部活に通っていたわけでもないのに、高3になっても大して勉強をしませんでした。(才能が特段あるわけでもないのに)
そんな努力量じゃ、その大学には入れないでしょw と今では思うのですが、当時の私は「何とかなる」と信じていました。
当時の名称である、大学入試センター試験。私はこの日に大失敗をしました。夏の模試から30点くらいしか伸びませんでした。
今振り返れば、自分の実力を大過信して、努力を怠った結果なのですが、当時の私はそれを信じられず絶望していました。
塾での、受験大学を決める面談では、当然志望校を下げる選択肢が議論のテーブルにあがりました。
ただ、当時の私はそれを泣きながら拒みました。プライドが許さなかった。不合格になる可能性が90%以上とわかっていながら。

結果として大学には合格せず(確か合格ラインまで50点くらいあったはず。大惨敗)、浪人をするに至ります。
浪人をして、良かったことはほとんどありませんでした。体調管理もうまくできず、同期のキラキラしたインスタを見てモヤモヤし、勉強の気持ちも乗らず。
ただ一ついいことがあったとしたら、自分のプライドを捨てられたことでした。
浪人をしても当初の第一志望の大学までは届かず、結果的に第二志望だった大学に入学しました。
もともと現役の頃は「(第二志望の大学)には絶対に行かない!なんで片道1時間かけて高校通っているんだよ」と言っていたので、相当尖っていましたが(自分でいうのもなんですが)
「大学が何かしてくれるわけではなく、自分が何をどう学ぶかが大事」
という言葉をもらい、浪人時にはスパッと志望校を変えることができました。
正直、全面的に満足したかと言われたら頷けない自分もいます。
ただ。第一志望の大学に行っていたら出会えなかった人もいて、おそらくパフにも入社せず、
おそらくメンタルをやられてしまったであろうことは容易に想像ができます。
また、第一志望の大学に行けていたら、優秀な人材になっていたのか?
そんなことわからないですが、おそらくNOでしょう。
ちっぽけなプライドだけを抱えて、学歴だけを武器にして、結果が出ないことを他責100%にして。
そんな人材が優秀なわけないですよね。日々の仕事は学校の勉強とは違うんですから。
勉強には意味がある、と僕は振り返って感じます。
「こんな暗記科目・・・」「夏休みの宿題・・・」の後に「なんでやらないといけないの!?」と思う人がほとんどだと思います。過去の自分もそうでした。
ただ、その勉強を「どういう風に」やっていくかがその後の学びの型になると思うんです。
当然大学受験が学びのゴールなわけはなく、大学もそう。社会人になってからもいくらでも学びます。
嫌でも自分の中に根付いている学びのスタイルが影響してきます。
だから、「大人になって○○なんて使わないんだからやらなくていいじゃん」なんて言わずに、
それをどうやったら理解して応用できるようになるのか、つべこべ言わずに考えて勉強してほしいわけです。
きっと、試行錯誤して学んだ時の記憶や、得意な覚え方、集中力や計画性は大人になっても活かせます。
その時の自分にとって意味があるかわからなくたって、未来の自分には意味があるかもしれないわけですからね。
さて、話を戻しまして。
学歴フィルターなんて言葉もありますが、多くの企業はそんなことを気にしている余裕はありません。
今は採用予定人数をしっかり採用するのも大変な世の中ですからね。
大事なのは、
●大学までの人生、どう過ごしてきたか(どういう学び・経験をしてきたか)
●自分がどういう人間で、どういう強み・弱みを持っている人間なのか
を、しっかり客観的に見て言語化できていることだと思うんです。
大学受験で挫折したって良い。それをバネにどう頑張ったのか?
いわゆる勉強が得意でなくたっていい。どう勉強という行為と向き合ってきたのか?
多くの種類の経験がなくたっていい。どう一つのことに向き合ってきたのか?(逆もしかり)
こういったことを意識したり、言語化していくことが、私はとても大事だと思います。
一つの大きなきっかけである、大学受験という行為を活かして、
自分のことを理解したり、高めたりできる人。
そういう人にとってこそ、大学受験の勉強を頑張った意味があります。
後から振り返って意味づけをしても大丈夫です。
ぜひ、少しでも自分の学歴に自信がないよ、という人は振り返ってみてください。
(振り返って惨めな気持ちになる必要はありません。事実を整理して、当時の自分を思い出しながらも、
客観的に感覚や感情を言語化していくことが大事です)
就活に落とし込みたい人は、昔を振り返りつつもこれからのことを想像することが大事です。
こちらの記事もぜひどうぞ。
また、一人で言語化するのキツイぞ~。という人は、もちろん職サークルに来ていただいても大丈夫ですし、こういうサービスもあるので使ってみてはいかがでしょうか。(外部サービスです)
必ずしも大学受験のことを語る必要はありません。
でも、引き出しとして持っておいて損はしないと思うのです。語らなくても学びの根幹にきっと大学受験の経験が紐づいていると思っているから。
ではまた!
